死に際の感覚

約3ヶ月前のペットの死をきっかけに、死について頻繁に考えるようになった。

考えるようになったというより、考えてしまう。

今回の記事では、死に際の感覚をテーマに書くとする。

死に際の感覚、どんな感じだろうか。
よく漫画やドラマでは意識が次第に薄れていくというのが描写される。

俺の考えた結論は少し違う。
それは後々書いていくとしよう。


まず死とは何だ。
永眠という言葉がある。
永眠とは永遠の睡眠。
それでは睡眠をヒントに考えてみよう。

寝てる間は意識が無い。
布団に入り、中々寝付けない日があっても何だかんだ気が付けば朝になって目が覚める。
そこで気付くのだ。あぁ俺は寝たんだと。
あんなに寝付けず目が冴えてしまい、それでも頑張って眠る努力をする。具体的には目を決して開けず寝るまで目を閉じ続ける。気が付けばいつの間にか寝ている。
悲しいことに、それに気付くには起きることが条件だ。

話を死に戻して置き換えると、死者は自分が死んだ事に気付いてない可能性がある。

眠いからオネンネしよう(=意識を失う行為をする)、そして永久に目覚めない。

あ、この感覚が死っぽいな。
つまり俺は毎日寝る時に、死に際の感覚を体験しているわけだ。
問題は後で起きるか起きないかの違いだけ。

でも、漫画の描写のような意識が次第に薄れていく感覚とは違うよね?皆さんどう?俺は違う。寝る(意識失う)時は一瞬だもん。
少なくとも、「あ、俺いま寝るわ(意識失うわ)」みたいな感覚は味わったことない。

中々寝付けない日も、クタクタに疲れてすぐ寝る時も意識が無くなるのは本当に一瞬。


少し話を変えよう。
次は、病気や怪我などで痛みを伴っていた場合を考えよう。
まずは、30年生きてきた人生の中で似た感覚は無かったか記憶を探った。

あった。

風邪だかインフルだか肺炎だか埃っぽい環境だったか、咳がめっちゃ出る時の睡眠。

これ結構辛いやつね。

あの時、自分がどう思って寝ようとしていたか思い出したんだ。

それは「早く寝付きたい」だった。
寝さえすれば、自動的に(=自分の意識とは無関係に)朝になり、体調や環境が少しはマシになっているだろうという他力本願に似た淡い期待を込めて。

喉元を過ぎればなんとやら。ここで言う喉元とは寝付くこと。


もしかしたら、痛みや苦しみで死ぬ瞬間は、藁を掴む気持ちで一旦寝付くことに執着するかもしれない。
そして場合によっては永眠。



実はね、ペットの犬が死んだ瞬間に立ち合えてないのよ。
ペット病院で入院してたんだが、朝と夜の2回の面会を続けていてよ、死んだ日の朝の面会では起き上がることもできず苦しそうに呼吸していた。
それは病院に連れてった時とほぼ似たような状態。
(その前の日の夜は痛み止めを多めに点滴していたらしくパッと見だけは元気だったんだが)

んで、夜の面会時間なる前に夕方電話来て死亡報告。
まあそれはもういいんだ、その子の寿命だ。仕方ないこと。

ただ、死に際に何を思っていたのだろうと考えてしまう。
最初は、家族やメシのことでも考えながら死んだのかなとか考えていたが、最近では上に書いたようにそんなお花畑な余裕は無く、痛みや苦しみを堪えるため一刻も早く眠ることを求めたのかもしれない。


みんなは寝たらちゃんと起きてね。
俺も寝よ。

著者、聖NHD